圓通寺のあゆみ

 圓通寺のおこりは、天台宗です。大勢山(たいせいざん)圓通精舎として、現在地(上川原)より西の山中に経堂が建立されました。

 本願寺第8代蓮如上人の時代、弟子の下間空善が英賀に道場(後の英賀本徳寺)を開き、浄土真宗の布教伝道を行いました。これが、この播州地方に浄土真宗が飛躍的に発展する大きな契機となります。

 天台宗であった当寺もこの頃に浄土真宗へと転宗し、文亀3年(1503年)釋正顕が圓通寺を開基します。永正10年(1513年)9月6日、釋祐専が本願寺第9代実如上人より、阿弥陀如来の絵像本尊を下附され、ここに浄土真宗の圓通寺として第一歩をあゆみはじめます。

 転宗によって、経堂は山中から揖西郡岩見庄(現在の御津町中島字中村)に移り、浄土真宗のみ教えを聞く道場として栄えていきました。

 御津町中島にあった当寺は、その後北東の出屋敷として栄えていた揖西郡上川原村(現在地)の中心地に境内地を有し、延享4年(1747年)5間4面入母屋作りの本堂が建立されました。

 当寺の前所、御津町中島は四国丸亀藩管轄下でしたが、移転した地は龍野(脇坂)藩であったため、当時の中島門徒は丸亀藩によって没収され、亀山本徳寺あずかりとなりました。

 龍野藩となった当寺は、脇坂藩主より数々の功績が認められ、領地や山地を下附されました。

 大正8年(1919年)第15代住職釋智貫のとき、本堂の老朽化に伴い、全門徒が総力を結集し、総ケヤキ造り、6間4面入母屋造りの本堂を3年がかりで再建します。当寺門徒はもとより、隣接寺院の門信徒の多大な御懇念によって大正11年(1922年)に完成しました。

 昭和56年(1981年)第17代住職釋智雄のとき、築200年を過ぎた庫裡を、入母屋の総桧造りで再建し、平成2年(1990年)同じく第17代住職釋智雄のとき、本堂屋根の雨漏りと基礎の沈下を受け、本堂屋根替を含む平成の大修復を行いました。

 その後、平成4年(1992年)駐車場を整備し、平成13年(2001年)納骨堂及びホールの建設、平成25年(2013年)境内トイレの再建を行い、現在に至ります。

 500年以上にわたる圓通寺のあゆみは、門徒が一体となって、浄土真宗のみ教えを聞くため、心の拠り所となるため、お念仏を子々孫々に受け継いでいくために、本堂や境内を整備してくださったご苦労のたまものであります。何よりも「南無阿弥陀仏」を大切にしてくれよとのご先祖の願いが込められています。

「参ってくれよ、聞いてくれよ」のご先祖の声。

「必ず救う」の弥陀の呼び声。

浄土真宗本願寺派 大勢山圓通寺 第18世住職釋智信